お知らせ

室内の空気をきれいにする

2023年03月16日

1)はじめに

 新型コロナウイルス感染症はオミクロン株の出現によって新しい段階に入りつつある。これまでのCOVID-19の病態と明らかに異なるのは、ウイルス自体の変化か、ワクチン接種や感染による個々の免疫状態の変化なのかは定かではないが、ウイルス自体がなくなったわけではない。日本では、感染症法での位置付けやマスク装着の議論にとどまっている感染症対策であるが、ウイルスの特性上、空気感染を防ぐための室内環境対策が最も重要と考えられる。本稿では、最近Nature誌に掲載された、Dyani Lewisの記事「Diseases in the room」1)を以下に紹介する(一部追加)。

2)各国の現状

 ベルギーではSARS-CoV-2やインフルエンザのようなウイルス性疾患に対し、室内空間を安全にするための法案が2022年7月に制定され、この7月から施行される2)。それによって、公共の場所では、室内空気の質(QIA)の目標達成やリアルタイムの二酸化炭素モニタリングが必要になった。また、2025年までにはジムやレストラン、そして室内の仕事場でのQIAの証明を、認証システムによって利用者に示さなければならない。これによって将来のパンデミックでは、ベルギー独自の評価基準により、その会場が閉鎖されるか否かが決定される。 2022年3月に米国政府は、「ビルでのきれいな空気への挑戦 (Clean Air in Buildings Challenge)」として、ビル所有者や管理者がビルでの換気やQIAを改善することを奨励した3)。(以下、追加記載:アメリカ合衆国環境保護庁(EPA)によれば、これは以下の4つの取り組みからなる4)。
1)ビル内の空気をきれいにするためのアクションプランを個別に立てる。 具体的には、QIAを評価し、それをアップグレードないしは改善することで、暖房、換気、空調(HVAC)に関する検査をし、それを維持する。
2)新鮮な空気による換気を最適化する。すなわち、きれいな外気を取り入れ室内で循環させる。
3)中央HVAC装置や室内の空気清浄機により空気の濾過と清浄化を増進する。具体的にはフィルターとしてMERV-13以上の品質のものを取り入れる。空気の取り込み量を増やしたり、流量が少ないところでは携帯型空気清浄機や紫外線殺菌装置(UVGI)なども考慮する。
4)この行動プランを地域に浸透させる。すなわち、ビルの使用者の関心を高め、室内空気の質の向上や健康増進という目標達成のために努力することに参加してもらう。:追加終わり)
 2022年10月、カリフォルニア州では学校の建物全てにきれいな室内空気を提供する法案を可決した。また、12月にはホワイトハウスは、政府機関の全てのビル(およそ1,500箇所)は、最小限の安全な空気の基準を満たしていると発表した。アメリカ暖房冷凍空調学会(ASHRAE)(以下、追加記載:米国における建設業界が主体となった暖房、空調、換気、冷凍などに関する国際学会で、その提言は地域のビルの基準などの法律に採用されている:追加終わり)は、2023年6月をめどに感染リスクを盛り込んだ基準を作成中であるという5)。
 2022年6月にイギリス王立工学アカデミーは、「感染症に対して柔軟に対応できる環境」を発表し、COVID-19パンデミックに際し今こそ環境を大幅に改善する時期であるとしている6)。(以下、追加記載:この中では、生涯にわたって実行可能なきれいな空気の制御方法についての8つの提言が示されている。COVID-19の感染管理にはハザード対策の階層構造を当てはめることができる。この提言では、とくに工学技術によって環境を変えることで感染症を制御することを目標にしている(図1)6)。:追加終わり)
 COVID-19を引き起こすSARS-CoV-2ウイルス対策では室内空間での感染拡大が焦点になる。しかし、これを解決するためには、現存する学校やオフィスビル、ほかの公共会場など大規模な改修が必要な場所も少なくない。
 これらを実行に移すためには、パンデミックによる損失と、感染制御に要するコストを比較する必要がある。SARS-CoV-2のようなパンデミックと季節性のインフルエンザによるコストを試算した結果、イギリスでの年間損失額は2兆3千億ポンド(2兆7千億USドル, 約370兆円)に達し、建物の換気を改善することにより、向こう60年間で毎年3千億ポンド(約48兆円)のコスト削減になることがわかった6)。

3)感染を減らす

 当初、COVID-19の感染伝播は接触感染が強調されていたが、次第に空気感染やエアロゾル感染が明らかになり、室内の換気が推奨されるようになったが、どの程度の換気が必要かは明らかではなかった。2020年6月、ハーバード大学T.H.Chan公衆衛生院のJoseph Allenらは、ロックダウン後の学校再開に際し、1時間に4-6回の教室の換気をすべきとした7)。これは、教室の空気が入れ替わるのに必要な回数であり、1人あたり1秒間に10-14リットル(L/sec/person)の換気に相当する。しかし、カリフォルニアの学校での検討では、多くの教室でこの換気が行われていなかった8)。また、世界保健機関(WHO)は2021年3月に部屋の換気の推奨量として、医療機関以外では10L/sec/personというガイドラインを発表している。この間、換気が少ないと感染率が高くなるという研究はほとんどなされていなかった。その代わりに、研究者たちは観察研究に解決の糸口を求めた。イタリアのマルシェ地方での10,000の教室を対象にした研究によれば、316の教室では機械換気が1.4-14L/second/personであったが、2021年の終わりまでの4ヶ月の観察期間で、窓を開けるだけの換気(多くは1L/sec/person以下)の教室に比べて生徒の感染リスクは74%減少した。換気率が最低でも10L/sec/personであれば、生徒の感染リスクは80%減少していた9)。
  他の技術により感染性の粒子が除かれる事実が明らかになってきた。ある研究では、高効率粒子吸収(HEPA)フィルターをつけた2つの空気清浄機を用いて、54平方メーターの広さがある会議室でSARS-CoV-2の感染と同様なエアロゾルを発生するダミー人形を用いた検討を行った10)。その結果、空気清浄機はダミー人形のエアロゾル暴露を65%減少させたが、これはマスク装着による72%減少に若干劣る結果であった。ベルギーのロイベンカソリック大学Bert Blockerの研究によれば、ジムの部屋6回の室内換気に相当する換気と空気清浄の組み合わせにより、呼気によるエアロゾル濃度が5-10%にまで減少し、この濃度は感染リスクを実質的に減少させるものであるという11)。また、空気清浄機は、換気システムがないところやエネルギーを過剰に消費できない場所でも容易に設置でき、きれいな空気を供給するのに有効な手段である。オーストラリアのビクトリア州ではこの方法を採用し、2022年に携帯型空気清浄機11万個を教室に設置した。2022年11月、ランセット誌の「COVID-19に関する安全な労働、学校、旅行に関するタスクフォース」は、換気システムや空気濾過を用いて空気感染を減少させるために必要な換気量(Non-infectious Air Delivery Rates, NADR)を公表した。この指標により、「最も良い」と評価されるための換気量は1時間に6回の室内換気であり、これは14L/sec/personの換気量に相当する(表1)12)。

図1 感染症制御の階層構造(文献6の図を改変)

​​​​​​​表1空気感染を起こす呼吸器疾患への暴露を減らすために必要なNADR(文献12の表を改変)

4)法的な限界

 どのくらいの換気をすれば良いかということは非常に複雑な問題である。なぜなら、必要な換気量は、スペースの広さや人が何人いるか、換気の能力はどうか、などによって左右されるからである。そのため、研究者は最大二酸化炭素濃度で換気状態を代用することを推奨している。二酸化炭素濃度は、換気や室内空気の質を反映するものとしてよく用いられる13)。人は、呼吸によって二酸化炭素を排出するので、その濃度は室内の混雑状況や換気が不十分であることを反映する。1999年までASHRAEの二酸化炭素濃度の上限は1,000 parts per million (p.p.m.)であった。1930年代に行われた研究によれば、この濃度ではビル内にいる人が体臭を感じることは許容範囲内であった。それ以後の研究で、二酸化炭素濃度が1,000p.p.m.を越えると眠気を催したり、判断が必要な問題解決をする仕事では認知能力が障害されうることがわかった14)。
 2022年9月に発表された小規模な研究では、感染性のある病原体と二酸化炭素レベルは直接関連しており、保育園、学校、大学、高齢者施設から空気のサンプルを集め、呼吸器疾患の病原体の有無を調査したところ、二酸化炭素濃度の高い部屋では、呼吸器疾患の病原体の量も多いことがわかった15)。
 2021年8月、イギリス政府は、学校の教室に二酸化炭素濃度測定器の配布を始めた。これによって、教師は、窓を開け換気を増やすタイミングを知ることができる。このような取り組みは、ヨーロッパ、米国やその他の地域でも広まったが、感染率を減少させるかどうかの検討はなされていない。
 二酸化炭素濃度ばかりに依存することには欠点もある。例えば、感染リスクが低いにもかかわらず濃度が上昇する場合として、二酸化炭素を除去しない携帯型空気清浄機の使用や料理の時などが挙げられる。
 このような問題点はあるものの、二酸化炭素濃度モニタリング装置は、ドアのある空間に、煙探知機のように安価ですぐに設置できる。しかし、二酸化炭素濃度を表示することだけでは十分ではない。なぜならば、それはビルの利用者に対して空気の質を追跡し、もし高かった場合に何をしなければならないのかを決める責任を負わせることになるからである。
 公共ビルにおける二酸化炭素濃度の許容範囲を法律で定めることによって、責任の所在がビルの管理者なのか政府なのかをはっきりさせることができる。しかし、そのような対策を取っている国は数えるほどである。空気の質を定めた法律を100カ国以上の国で調査した結果、汚染物質の閾値上限による室内空気の基準を定めていた国はわずかに12カ国であり、そのうちわずか8カ国(中国、韓国、インド、ポランド、ハンガリーなど)が二酸化炭素の上限値を設定しており、多くは800p.p.m.から1,000p.p.m.の間であった16)。
 日本は、1970年から室内の空気の質を規制しており、ビル内での二酸化炭素濃度は1,000p.p.m.を超えないことを義務付けている。ビル管理者は、2ヶ月に1回空気の質を評価し、その結果を政府に報告しなくてはならず、もし、空気の質が基準に合わなければ修復策を考えなくてはならない。しかし、2017年の調査では、基準値を上回ったビルは30%に上った17)。それにもかかわらず、「日本の法律は功を奏しており、室内の空気の質は米国よりは良い」、とカリフォルニア州リッチモンドの公衆衛生技術者である熊谷一清氏は述べる。「日本式の定期的なモニタリングと報告様式は他の地域でも有効であろう。」
 法的な規制はより一般的になるであろう。ベルギーでの新しい法律はこの7月から施行されるが、公共施設における換気率を毎時40立方メートルとし、二酸化炭素濃度が900p.p.m.を超えないと規定している2)。空気清浄が用いられた場合は、毎時25立方メートルと、より低い換気率で十分であり、二酸化炭素濃度は最大で1,200p.p.m.となっている2)。
 室内空気の質を法制化することには、微妙な点もあると、イギリスリード大学の機械技術者であるCatherine Noakes氏はいう。一番の問題は、誰がビルを所有しているかであり、ビルがどのように使われているかで責任範囲はさまざまな政府部門や機関に及ぶ。学校の教室であれば、教育省であるが、オフィスビルであれば労働安全衛生局といった具合である。
 米国では、室内空気を規制する省庁がない。ベルギーにおいても、新しい法律は、地域の政府が統括する学校には適応されない。日本においても、学校の建物に関する規則は地域によってまちまちで、二酸化炭素濃度の最高値は1,500p.p.m.であり、多くの人はその値が高すぎると考えている。

5)基準を設定する

 国内法がないことから、米国では専門家組織が空気の質の基準を設けようとしている。ASHRAEがこの6月に感染緩和の基準を公表すれば、この提案が地域のビルに適応され、新しいビル建設はそれに従うであろう。これまで、室内空気の質には注意が払われてきたが、病原体の制御という視点はなかったのである。ASHRAEの基準は強制的ではないが、何らかの変化が生まれるであろう。より厳しい基準は、古いビルで行われる業務に対し、QIAという絶対的基準がいかなるものかという強いメッセージを送ることになる。

文献
1) Lewis D. Nature. 615:206-208, 2023
2) FPS Public Health. June. 2022 https://www.health.belgium.be/en
3) The White House. March. 2022 https://www.whitehouse.gov/cleanindoorair/
4) US Environmental Protection Agency (EPA). March.2022 https://www.epa.gov/system/files/documents/2022-03/508-cleanairbuildings_factsheet_v5_508.pdf
5) ASHRAE. https://www.ashrae.org
6) Royal Academy of Engineering. June. 2022 https://raeng.org.uk/media/dmkplpl0/infection-resilient-environments-time-for-a-major-upgrade.pdf
7) Jones, E et al. June. 2020 https://schools.forhealth.org/wp-content/uploads/sites/19/2020/06/Harvard-Healthy-Buildings-Program-Schools-For-Health-Reopening-Covid19-June2020.pdf
8) Mendell, MJ, et al. Indoor Air. 23,515-528, 2013
9) Buonanno, G, et al. Front. Public Health. 10:1087087, 2022
10)Lindsley, WG, et al. Morb. Mortal. Wkly Rep. 70:972-976, 2021
11)Blocken, B, et al. Build. Environ. 193:107659, 2021
12)The Lancet COVID-19 Commission Task Force on Safe Work, Safe School, and Safe Travel. November. 2022 https://static1.squarespace.com/static/5ef3652ab722df11fcb2ba5d/t/637740d40f35a9699a7fb05f/1668759764821/Lancet+Covid+Commission+TF+Report+Nov+2022.pdf
13)Peng, Z. & Jimenez JL. Environ. Sci. Technol. Lett. 8:392-397, 2021
14)Wargocki, P, et al. Build. Environ. 173:106749, 2020
15)Paymenants, J, et al. Preprint at medRxiv https://doi.org/10.1101/2022.09.23.22280263 (2022)
16)Morawska, L. & Huang, W. In Handbook of Indoor Air Quality (eds Zhang, Y, et al.)(Springer, 2022)
17)Hayashi, M, et al. J.Natl Inst. Public Health. 69:63-72, 2020
1)から6)は追加したもの



川崎高津診療所コラム「室内の空気をきれいにする」v1.7
Published on line (2023/03/16) by Kawasaki Takatsu Shinryo-jo
Attribution 4.0  International (CC BY 4.0)

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